2020年12月24日

どうもすみません。

パンツスポンサーってなんで2年も埋まらなかったんですかねぇ。(うるせぇよ)

今年はどう考えても動員の話をしても仕方が無いので、
考えていたネタが李昊乗がK3リーグの江陵市庁FCでの奮戦(ロスタイムに1ゴール記録)のネタも全然深掘りできない上に兵役ってどうなったったのかもさっぱり判らなかったので没。
もう一つは皆大好き鈴木智樹のロマン枠シリーズであるドゥグラスオリベイラの過去のゴールを追っていて、なんでコレで採ろうと思ったのかがさっぱり判らない映像シリーズURLとリンクをなくしてしまってしょぼーんとなってしまったり
※ありました
50秒ぐらいから。
ちなみにコレが日本に来る前に最後に記録したゴール。
グタグタ感が半端ないw

2:09秒ぐらいから。カメラのパンが間に合ってないのでさっぱりな感じ

4:10秒
見た中では唯一のゴラッソ。
(そのあとの4:18秒からのゴールが鳥栖にいたトジン)

モノにならなかったというか、やぱりやっても収まりつかないなぁw

締め日の今日慌ててつつかれて書いている訳なので、どうもすみません。
来年以降は動員のこと、きちんと書けるような世の中になれば良いなぁ、と願わずにはられませんが、まずは身の回りの感染対策を引き続きお願いいたします。


2019年12月23日

新たな壁

パンツスポンサーってなんで埋まらなかったんですかねぇ。(まだ蒸し返す)

あっ、なんか前2日はユースの話だし多分後枠の羆もそうなんだろと思ってますが、
ここは流れを無視して毎年の動員を年末に書くのは
小学校の学級目標よろしく周知啓蒙みたいなモノだと思っていただければと。

さて、実は、今年リーグ+ルヴァンのホーム開催(決勝除く)の観客動員数、
2001年の記録を更新してしまいました(汗

2019リーグ:319,053人
2019ルヴァンホーム:46,349人
(ルヴァン決勝:48,119人)
計:365,402人
(ルヴァン決勝含む:413,512人)

《参考》
2018 309,798人(平均18,223人) 
2017 313,100人(平均18,418人) 
2001 333,425人(平均22,228人)(カップ戦ホーム2,439人は含まず)

2016年から30万を下回らない札幌の動員は本物か、というところで、
去年は最終戦ブースト(まぁ一応自力)、
今年は神戸戦ブーストがGWにあっていう日程君の差配の妙もありますが、
それにしても3年連続1試合平均観客数を1万8千にというのはここが超えざるを得ない壁なんでしょう。

ただ、1万8千という数字は今年のJ1観客動員の1試合平均数で言えば10番目の数字な訳で、
札幌より上のチームは軒並み2万以上の数字。
ここを2万に上げるというのはやはり1万を割る試合はあってはいけないのがセオリー。
札幌のネックとしては厚別開催の動員がどうしても低くなってしまう。

YLC GS 第5節 05/08(水) 19:03 札幌 0-4 横浜FM 札幌厚別 5,311
J1 第16節第1日 06/22(土) 14:03 札幌 3-1 鳥栖 札幌厚別 6,836
YLC POS 第2戦 06/26(水) 19:03 札幌 2-1 磐田 札幌厚別 5,415
J1 第20節第1日 07/20(土) 13:03 札幌 5-2 湘南 札幌厚別 9,055
YLC PRS 準々決勝 09/04(水) 19:03 札幌 3-2 広島 札幌厚別 6,906
J1 第26節第2日 09/14(土) 14:03 札幌 1-3 仙台 札幌厚別 11,254

ルヴァンはどうしても水曜開催、ナイトゲーム厚別がメインになる関係で
動員はつらい部分があるのはわからないでもないのですが、
リーグ戦でトーレスブーストがあったにもかかわらず
雨で動員が落ちて7000も行かなかった鳥栖戦が悔やまれます。
厚別はホスピタリティというか施設的にも近年改装したとはいえ、もう30年モノの国体スタジアム、1954、1989年に国体をやっているのでもうそろそろ来てもいい頃合いなのですが、前回やったときは国体の前年はインターハイも開催してましたし、それより何より世の中バブルで景気よかったんですよ、だから厚別もあんな断崖地でインターから枝線で直結なのは天皇陛下がスタジアムでの開会式終了後高速に乗れるようにと言うご配(ry
実際新しい箱物を立てる財力が北海道には無いでしょうから、国体が来るにせよ厚別の再改装が一番の選択肢になるわけでそれは5年後なのか10年後なのかという世界なので、近々にどうこうなるという話ではないわけですよ。

ドームの動員で言うと、フライデーナイトJリーグの金曜開催は土曜開催ならもう少し動員を伸ばせたかもしれない試合と思われますが、まぁ目玉施策の一つですからねぇ...。

ルヴァンの決勝は正確には開催試合ではないので動員に突っ込むのはよろしくはないのですが、
ホーム扱いという点から行けば48,119人は史上最多動員の試合となった訳で、
今後は札幌ドームではない大きな会場でのホームゲーム(ルヴァン・天皇杯ぐらいですが)の数字を作れたことは今後動員の越える壁の新しい指標となるものです。

ということで札幌の来年の動員目標としての数字は、平均20,000人の数字を目指す(二万人超過423円の減収をどうするかはおいておいて)思いますが、結局のところかなりカードに左右されることが多いのが札幌の動員の常なので、カードに左右されない基礎動員の増大という結局のところどぶ板に近い地道なシーチケの販売(企業売り含む)が必要になろうとかと。

来年はオリンピックイヤーで元々中断予定だったところへ、さらにマラソン・競歩の開催も降って沸いた状態なので、スポーツイベントとしての集客が、特にオリンピックの代表チームの活躍が後半戦の動員にかなり影響を与えると思われますので、選ばれる可能性のある各選手については是非とも代表の選出とスタメンの座を奪い取ってほしいものです。

2018年12月23日

Doing

まだ、12月23日ですね。
はい。なんとか原稿書きました。
やっつけすぎですねwww

さて今年の観客動員はなんとなんと最終戦の種々の辻褄でなんと
2018 309,798人(平均18,223人) 
2017 313,100人(平均18,418人) 
と歴代2番目の観客動員に3,302人云う事で、
歴代3番目の数字となり、動員的にも頑張ったかなという得る数字にまとめました。
営業的にも安堵されたかと思います。

やはり
○厚別
○平日(水・金)
○ナイトゲーム
これが三重の枷、なんでしょうな。

日付 アウェイ スタジアム 入場者数
第3節 3月10日 清水エスパルス 札幌ド 19,390
第4節 3月18日 V・ファーレン長崎 札幌ド 13,568
第6節 4月7日 名古屋グランパス 札幌ド 17,390
第7節 4月11日 湘南ベルマーレ 札幌ド 11,183
第10節 4月25日 横浜F・マリノス 札幌厚別 6,729
第13節 5月5日 ガンバ大阪 札幌厚別 12,382
第16節 7月18日 川崎フロンターレ 札幌厚別 10,711
第17節 7月22日 ジュビロ磐田 札幌厚別 10,723
第20節 8月5日 柏レイソル 札幌ド 26,805
第21節 8月11日 セレッソ大阪 札幌ド 21,614
第23節 8月19日 FC東京 札幌ド 18,521
第25節 9月1日 ヴィッセル神戸 札幌ド 32,475
第27節 9月23日 鹿島アントラーズ 札幌ド 21,074
第28節 9月29日 サガン鳥栖 札幌ド 16,195
第31節 11月4日 ベガルタ仙台 札幌ド 24,065
第32節 11月10日 浦和レッズ 札幌厚別 12,723
第34節 12月1日 サンフレッチェ広島 札幌ド 34,250

チケット無い無い騒動のあったガンバ戦・おきつつあった浦和戦にしても1万3千行っていない
(厚別の特殊事情として1万5千以上チケットは売ることが出来ないのではないかと推測するが)
中でもちろん浦和戦も今年は暖かかったとはいえ11月の厚別は本来やってはいけない時期でもあり、
厚別5戦、もっと悲惨な動員で足を引っ張る可能性もあるかと思われたが、なんとか最低限のラインで留まったということになろるでしょう。
ドームの動員で大きかったのは最終戦の他、
イニエスタバブルの神戸戦、
夏休み動員でせっかく2万6千入ったのにコテッと負けた柏戦、
なんだか判らんけど入った仙台戦と、
後半のカード的に恵まれすぎていたのかな、という感じもありますが。

来年度は、ラグビーワールドカップの指定会場で9月がほぼ使用できないことが予想されるので、
ここの日程は先に大分が大分市陸を特別利用申請出したように
札幌ももしかすると厚別でないどこか、の開催を視野に入れているのかもしれないと考えたりします。
それにしたって動員にはプラスになる話ではないのが痛いところかと思います。

ルヴァン?あーそういうのもあったねぇ(遠い目)
去年はプレーオフステージ込みで21,272人、今年はホーム3試合で15,196人とやっぱ上に行かないと動員に寄与するのは難しいのがルヴァンの難しいところでしょうなぁ。

ともかく、日公さんが出て行くまではどうやっても向こうの方が早く決まる日程に左右される状況が続くと思うので、
うちも夏に使用できる2万5千ぐらいのスタジアム、あると便利ですよね...
そんな夢物語を冬の駄馬なしにしつつ、来年を迎えることとしましょう。
では。

2017年12月21日

コンサドーレ四方山話。

○残留おめでとうございます。

まず、みんなきっと忘れていると思うので。
2008年10月19日付け柏戦後のHFCとの話し合い議事録


株式会社北海道フットボールクラブ執行役員チーム統括(GM)村野 晋(現 楽天ヴィッセル神戸株式会社 ヴィッセル神戸強化本部長 兼 アカデミー本部長 兼 アカデミー本部アカデミー運営部三木谷ハウスグループマネージャー)(...肩書きなげぇよ。)


(村野)
『現実として、J1からJ2に落ちて、今この場で降格が決まった時点で私が言って良いのかも判りませんけれども、このチームは皆さんのチームなんですよ。だからクラブの方針だとかですね、これからどうするんだということは私時間がある限りお話させていただきます。
 だけども皆さんのチームで、これから先10年、20年、コンサドーレがここ北海道・札幌市に有り続ける、継続させる、存続させるということに関しては、私が言って良いのかどうか判らないんですが「J2に落ちても応援してあげて欲しいし、応援するべきだ」と思います。
 やっている人間が力が足りなくてチームを勝たせることが出来ないのであればもっと良い人間を連れて来る。お金がないのであれば、もっと稼ぐ方法を考えてですね・・・。
 「コンサドーレは人生そのものだ」という風に言っている方もいます。ですから最後まで諦めないというか・・・、また怒られるかも知れませんが「ずっと先のことを考えればJ2に落ちたってどうということないんですよ。申し訳ないけれども。また上がれば良いんだから・・」』
(村野執行役員の言葉に居残者からどよめきが起こる)。

10年前にこの人がこう言って、今がある訳なんですよ。
チームが連綿と続くこと。
今年は2回目の残留というエポックがあったので、もう一度出してみました。

※しかしねぇ。本人が言っているけど、その日のその場所で会社の人間がコアサポ前にして「もう一回上がれば良い」と言う、その度胸たるや凄いよな。

○観客動員について。

ツイッターでちょろっと書いたんだけれども、今回話題にしてみましょう。
本来であれば2008年と2012年も含むべきなんでしょうが、
J1なのに客増えてないじゃん、と言う結果だったりするので、割愛。
まず今年と,前回の残留時でありドームバブルだった2001年の2つを見比べてみましょう。

2017年      動員  平均 
リーグ    17試合  313,100 18,418
ルヴァン    4試合  21,272  5,318
合計      21試合  334,372 15,922

2001年      動員  平均 
リーグ1st  7試合 126,345 18,049
リーグ2nd   8試合 207,080 25,885
ナビスコ   1試合   2,439  2,439
合計    16試合 335,864 20,991

単純に数字から行くと、2017年は史上2位の動員数であり、
昨年の21試合305,732を上回る動員数として結果は重畳でしょう。

ドームの最小入場者数も4節の広島戦12,624、
ホーム2連戦、前の週のホーム開幕戦で21,760と言う数での翌週という悪条件。
6月4日の神戸戦も12,644と20しか違わないが、動会当日(しかも先週からの天候不順による週またぎの順延+前日順延も含む)集客の見込めない中での開催ではいかなドームでも動員苦戦は免れなかったではなかろうかと。
その他、勝利優先のための厚別開催の柏戦がドームだったらのたらればで、観客動員の記録更新も可能かと思われた他、
最終戦の3万という動員目標の強気に、腰が抜けましたわ。

来期は近々に平均動員2万をめざすために、まず平均動員16,000、動員336,000を目指す。
そして噂される金曜ナイトゲームor日公都合の月曜ナイトゲーム以外の土日祝動員は14,000より上を狙わなくてはならない。
月曜と金曜ナイトゲームはどうやっても1万オーバが関の山なので...良い対戦カードは逆に置きたくないよね。

ちなみに、皆さんは当たり前のようにシーチケを持っていたり、
持っていなければ同月内2週続けての試合の2試合目のチケットなんてものを何の抵抗もなく買う人たちなの集まりなのだが、
世の中の大多数の人たちは、そんな消費行動を行わないことをご存じであろうか。
夫婦+子供2名の一見さんである場合、夢プランを用いても前売りでゴール裏2200円×2の出費になる。
これを1月に2回なんて事はあり得ない、と言うことを何度も直接聞いた。(もちろんチケット以外の出費も重なる訳なので)
日本ハムなら対戦カードを選ばなければ一番安いスーパーバリューは自由席で大人1000円、子供700円である。
夢プランなら子供のチケット分にお金が掛からないとはいえ、どうやっても1試合のコストの重さがかかる。
とはいえ、今更割引券や招待券をばらまくのは、出来ない。
割引券・招待券の乱発は客単価にダイレクトに響く毒薬だからだ。

じゃぁどうするか。試合単位のパフォーマンスを上げ、さらに勝利による多幸感を味わってもらうより無い。
#特殊な例として馬鹿サッカーで点の取り合いも有り。点が入らない試合は一見さんには圧倒的につまらないから。
でもその多幸感の積み上げが一番難しい。勝負は水物だから。

ただでさえ年長の方が多い札幌の客層に新しい(出来れば年齢も若い)、一見さんをリピーターにするための取り込み施策が欲しいところではある。
ファンクラブ(クラブコンサドーレ、ホワイト\3500レッドキッズ\2500は敷居高いしな)未満の人たちを上手く取り込む方法を見いだしていくしかない。
そこらへんは博報堂さんに期待(ぶん投げ)することにしましょうw。

○育成のこと。

私は育成ってのは指導者も含めて育成なので、地域の指導者相手の講習だけでは無く、人からのサッカー指導者の育成講座みたいのが出来る様になれば良いと思っている。それプラス、サッカー脳の良い人を量産する・見る目をつくる為にも、受講料を徴収して「頭のサッカー講座」(サッカー実技無し)をやるのも良いんじゃ無かろうかとおもう。(もっとサポから搾り取ろうぜw)
赤黒連盟さんのやっているコンサドーレラボのもっとサッカー戦術バージョンとか、もっとサッカービジネスに振った企画ものとして如何であろう。戦術とは何かを深く教えたり、契約ってどういうことをするのかを教えることで、チームがどんなことをしているのかをより深く知ることが出来るのでは無いか、なんて駄話はともかく。

個人的に、日本のチームというチームにコンサドーレ札幌に関わった指導者や選手がまんべんなく居る状態が、
コンサドーレ札幌の育成の勝利だと思っているので、ず道内にその芽をどんどん植えていっている現状かと思うが、
来年は名塚さんが山口へ行って、札幌の各年代で培ったその指導力を披露していくことになると思う。
財前さんが戻ってきて、来期からは札幌スタンダードの育成システムの構築をすることになる。
まだまだ道険しいし、そのためにももっと銭は必要なのだが積み上げていくことが必要なので、一つ一つ慌てず騒がず進んでいくべきだと思う。


○チームを去る選手について
高3の春にぐぐっと体格が良くなったのをみてなるほどなんとかなるかも、とは思ったが、息の長い選手になってくれたことは非常にうれしい。2回目の契約終了というのが本当に心苦しいが、ぜひともサッカーを続けて欲しい。
櫛引...富岸のサッカー少年が名古屋に請われて移籍するなんて事は本人も夢にも思ってなかったと思う。石さんの時代に戦術練習中、CB/SB/ボラとワンプレー毎に回されたあげくにポジション外された状況を見ていた事があって、当時櫛引ボランチ待望論とかがあったんだけど、石さんも試行錯誤して駄目だと判断してるんだ、と思った事が思い出です(おい


四方山話なのに四方田さんに言及しないのはお約束と言ったところでお開きに。

2016年12月20日

上里一将の思い出。

上里一将という選手をきちんと認識したのは2004年も末。
泥沼のようなチームで、みんながその試合に1つでも良いこと探しをする必要があった時だ。
その年の天皇杯、くそ寒い室蘭入江で、恐ろしく巻いたミドルシュートを見たときに、
来年はもしかしたら、この上里という選手が起こしてくれる何か良いこと、それがあるのかも知れない、そう思った。
同期には智樹や桑原と言ったある程度スタメンででられる(というよりはでざるを得ない)高卒選手がいる中で、
上里が目指すべきプレイスタイルはどのようだったのかを知るすべはない。
ただ言えることは翌年の2005年、恐ろしく伸びていく上里を見ることになるのだ。

2005年J2第18節横浜FC戦、この試合の上里は輝いていた。
試合自体は防戦一方の試合で中山元気と上里のゴールで勝っているのだが、
正直元気のゴールは覚えているものの、上里のゴールはさっぱり覚えていない。
しかし上里の一本のパスを覚えている。左サイドのオープンスペースに向けて出した、
回転とスピードもさることながら、「中山元気様」と書いた宛名がついたパス。
このパスをスカパーで見ていてひっくり返りそうになった。
こんなパスが出せる選手が札幌にいることを。(そして本当はこういうのを智樹にやって欲しかったわけだが)

この6月ぐらいから上里の伸びはすさまじかった。
チーム成績もそれなりに伸びて、
第26節までにチームは3位、2位アビスパまで勝ち点4と言うところまで来ていた。

上里はトップ下としてこのままなら左足一本で世界が見える所まで、
今シーズン末にはどっかに引っこ抜かれたら困るぞ、
と言えるまで来ていたはずの2005年J2第27節、8月20日。
別に誰が悪いわけでもない、雷雨順延。
その後帰札して行われた、21日札幌ドームサブGでの練習試合。
ここで上里は左ひざ前十字靭帯損傷の大けがをしてしまう。

結局の所、僕らが思った世界ははるか遠くに行ってしまい、
上里はこの後11ヶ月のリハビリに入る。
結局彼は、これ以降、トップ下ではなくボランチ・サイドハーフとしての選手になっていく。
それは膝のケガから見ても致し方ないだろうし、
チーム事情もあったであろうし、とはいえ、
以前の輝きを抜群に取り戻すことは年に一度か二度、と言った選手になった。
ただそれは、彼の得意な中距離のフリーキックであったり、
2009年の福岡戦、推定65mのロングシュートだった。

その後FC東京・徳島ヴォルティスへの2年のレンタル移籍の後、
また札幌に戻ってきた。
札幌に戻ってきてからの彼に対する口性の無いコンサドーレサポータの評からすれば
展開が遅くて持ちすぎだ、と言うことになるのだろうけど。

今シーズン、
http://www.55ft.co/2016/07/blog-post_15.html
コンサドーレ札幌MF上里一将の展開力が半端ない (河童戦術)で、紹介されたとおり、
展開力と視野はまだまだ衰えてはいない。
っと熊本でも力になってくれるであろう。

僕が知っていた彼は、まだ18・19の高卒選手で有り、
現実の彼は30になるベテラン選手である。
プロ10年選手としてやってきたことに驚嘆を隠せないが、
それは、柳下監督が、上里を見たときに
「どこの田舎から連れてきたのか知らないが、サッカーの基礎すら知らない」と評した
その言葉を覚えているからだろうか。
2004年、あのシーズンを共に過ごした戦友として、彼には出来るところまでやって欲しい。
それが上里一将に世界を見た者としての言葉でもある。

2015年6月 8日

CHUWI Vi10 Dual Boot (馳為Vi10 追夢者 双系統)

何でか家にありますぜ(@_@) CHUWI Vi10 

DSC_0034.JPG

先月半ば、愛用のONDA v975wが起動しなくなり、致し方なく購入元の赤札天国へ修理送付。
致し方ないけれども、Windows8.1があると便利なので、色々中華Padを探していると、
DualBoot機がそれなりの値段になっている。

v975wは一応念を入れて赤札で買ったが、やはり日本の取り次ぎ通してもダメなモノはダメと悟ったので
今回はAliexpressから頼んでみました。
たまたまタイムセールをやっていて$建てで$20ほど安かったのでケース一体型キーボードもをセットにして発注!

しかし。

1回目の送付は向こうの梱包ミスで税関を通過できずリターン。
向こうのコメントは「こんな事良くある事だから気にすんな」
再送をかけて到着したのが6月6日、届くまで3週間弱は掛かりましたなぁ。

中身のレビューは後から。

続きを読む "CHUWI Vi10 Dual Boot (馳為Vi10 追夢者 双系統)"

2013年12月13日

財前恵一の思い出。

コンサドーレ札幌アドヴェントカレンダー企画
企画にのったは良いけど、何書くか決めてなかった、ってことで、
今年チームで批判の矢面に立った人、財前恵一の話をば少々お付き合い下さい。
(なお筆者は室蘭大谷OBでも何でもありません)

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財前恵一(サッカー界隈では弟宣之のほうが有名ではあるが)は、北海道のある年代より上の人たちは財前と言えば室蘭大谷出身のサッカー選手、と知っている。
僕の中学生の時は室蘭大谷の第二期黄金期で、「財前ギャル」が発生し、高校サッカーの試合会場で所属学校以外の女子高生の入場が規制されるとか訳のわからんフィーバー状態が発生したこともあった程の有名人だった。
前恵一は高校卒業後、日産へ。怪我に再三泣かされ続けたそのときのエピソードは、何度も僕が財前を紹介するに当たって引用しているが、このコラムである。

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「それで」......で、腕をバシッ、「ザイゼン君は、」で、今度は足首をバシン、「だからね、説得はしたんだよ、あんな説得は初めてだったけどさあ」で、ついに森孝慈ゼネラルマネジャー(横浜M)もバチッ、と、森GMとわたしは、自らの手足をビシバシひっぱたきながら、獅子ヶ谷グラウンドのベンチで話していた。なんで、こうビシバシ、とせわしなく擬音が入るのかと言いますと、夏の夕方の獅子ヶ谷ほ、ヤブ蚊の天国と化すからなのだ。
 森GMは、血中アルコール度が高いため! シャツの上からも刺される非常事態に陥り、取材は途切れがちではあった。それでも、何故、財前恵一選手(27、MF)が、急に、選手登録を抹消したのか、その経緯は知ることができた。市販のニコスシリーズ用プログラムに彼の名前も入っていることからも、いかに急なことだったかがわかる。
 財前宜之君(18=川崎)、つまり恵一の弟の方は、セリエAラツィオのプリマベーラ行きが決まっている。
 偶然にも、この華々しいニュースが出たのとほぼ同じ時期、兄はじつにひっそりと、最愛のチームを去った。
 昨年、当時JFLの柏に移籍したが、左アキレス腱を切断。手術後、リハビリに明け暮れた。オフには戦力外通告を受け、1年で古巣に移籍。入団発表では「マリノスの御恩は一生忘れません」とあいさつし、記者や関係者の爆笑を誘ったが、このとき本人は笑ってはいなかった。不運にも、今度は逆足のアキレス腱を切り、またも手術とリハビリの生活に戻った。しかしクラブは、第2ステージの契約続行を決め、あとは本人のハンコを押すだけだったという。
 しかし契約書を前に、財前は「契約は第1ステージのみでした。十分助けてもらいましたし、もう心苦しい。あとは1人でできるところまでやってみます」と、頭を下げた。森GMは面食らった。「辞めるという選手に、いいから早く契約書にハンコを押せよ、と説得するのは初めてだった。でも男が、それも1人のプロ選手として決めたことなら、それも尊重せねばならない」と、ついに登録抹消を決めた。今は1人で、黙々とトレーニングを続け、もう一度プレーする日を待っているはずだ。
 プロには、人事異動の激しさはツキものだ。引退、移籍、トレード、解雇......。「何でもあり」、が、この世界のたったひとつの掟といえる。記者ならば、誰だっていちいち驚いたりはしないし、もう慣れっこになっている。それでも、財前のようにあたり前のように取材していた相手が、急にいなくなるのは、なんとも拍子抜けするものだ。
(後略)
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北海道の生んだ、天才にして不世出の財前恵一というサッカー選手が、
実はこんな孤独な戦いを経て、東芝サッカー部からコンサドーレ札幌と名を変えた札幌のチームに戻ってきた。
この地で、彼がどんな活躍をするか。
このとき、財前ブームから10年だったが、シーズン半ばに引退を発表し、育成のコーチになることが発表された。

そして1999年。僕はこの年から2002年ぐらいまで、ほぼ毎週のようにユースを応援していた。
この年U-18のコーチになったのが財前だった。保坂さん(現甲府アシスタントコーチ)が監督で、財さんはコーチ。
でも、ユース生の親から評判があまり良くなかったことは耳に届いていた。
練習を自分で考えてやりなさい、と言う指導方法で、貧乏チームに月謝まで払って通わせている親から見れば、何のためにいるコーチなんだ、と言う話だったようだ。
それと、怪我をした選手は基本的に軽い怪我でも無理して起用はしない。これは基本的に育成段階だから当然とは言えるが、先週の試合と今週の試合のスタメンは当然のように変わるし、怪我で抜けた穴をどう埋めるのかは、あくまで怪我がなく練習で調子が良くて動けてた選手から構成されていく。もちろんどう戦わなければならないかの指導はするが、サッカーをするのは選手
このやり方はこのあとトップチームコーチが終わる迄続いた。

2001年。保坂さんが札大に行き、監督は財さんは監督に、ユースのコーチはU-15コーチから及川コーチ(現室蘭大谷サッカー部監督)という布陣になった。これまで夏のクラブユースがそれこそそのシーズンの強敵と初めて顔を合わせるような状態で戦われていた時代、初めて予選リーグを突破し、そしてあれよあれよという間に決勝トーナメントを突破して決勝の舞台に立った。
特に。決勝トーナメント1戦目の広島戦、新居の足首が完調ではなく、代わりに起用した控えFWのH君の起用がずばりと当たって勝てると思わなかった清水戦を勝ち上がり、準決勝の京都を下して決勝までたどり着いたのだった。
この決勝に上がるまでに札幌は福島の熱さによる遠征疲れ、そして怪我に殆どの選手が満身創痍という状況で、FC東京を下すことは出来ず、(新居がふてくされながら鹿島の青木と握手するし大会MVPトロフィーを受け取っている姿を見つつ、「あいつ青木って知ってるのかな」とかバカなこと言っていた気はするが。)その夏は終わった。
「財前監督」になって僕らが知ったのは「勝負師」「博打打ち」要素の強い、とても驚く起用法が多かったことだ。
坂監督は、石橋を叩く感じの打つべき一手をここで打つタイプの起用であり交替であった。しかし財前監督は、びっくり箱の様な起用・采配をする。だから勝つときはかなり効果的に劇的に勝つ。でも負けるときは、それはもう惨敗と言うほどに負ける。
勝つときの派手さの裏には、好調な選手の見極めに絶対の自信がある様に思うのだ。彼の見える選手の動きが彼の思うとおり動けば勝ちに、動かなければその目算は一気に崩れる。もちろんどんな監督でも同様であろうが、財さんの采配はそれがあまりにも顕著だった。それが育成の監督としてそれが良いのか悪いのかは判らない。
、明らかにトップチームの、それも監督に向いているよな、というのは僕らの感じたことだった。
たぶん、コーチには向いてない...それは2004年、トップチームのコーチに就任してからの彼の評判が現していた。

「教えない」「何もしていない」
練習見学の常連から漏れ聞こえるのはその声だった。
2004年は今考えても、しょうもない陣容の年で、札幌史上、一番所属選手の少ない年であった。
http://qwe.cx/consa/sensyu-idc.html (2004年を参照)
事実であったであろう。教え魔と言われたほど「サッカーを教えること」にかけてはたぶん、Jリーグでも三本の指に入るような情熱を持ってやってくれるトップチームの監督と、教えないことトップチームコーチ。その二人三脚はあまりうまくいかなかったのかもしれない。今回の財さんのトップチーム監督就任の話が出たときに、そこここで「あの人が」「えーっ」と言う声が上がったのは知っている。でも僕はそれで良いと思っていた。

話は変わって、コンサドーレ札幌の育成部門というのは室蘭大谷人脈を基礎としていて、昔から三浦雅之氏(現ノルディーア北海道監督/愛称はタマさん)を筆頭とした大谷人脈がある。
まぁ、あったからといってだからどうしたと言うこともないが、コンサドーレのS級推薦枠は先に出た保坂さんが取り、森下さん(現ツエーゲン金沢監督)が取り、そのヒエラルキの一番上にいたタマさんではなく、財前に枠が与えられた。その頃タマさんはトップチームのコーチであり、動けなかった分も加味してであろうし、ある意味、タマさんではなく財前が次時代の監督候補であると言うことを路線としてチームが決定したのではないかと私は推測する。

森下氏がジュビロを経由して福岡のトップチームコーチから強化部長に就任したとき、財前がアカデミーU-13の監督として招聘された。その後、U-18が宮杯のプレミアリーグに昇格した年にU-18の監督に就任。
ここでの評判はよくは知らない。

そして2012年12月13日、財前恵一はコンサドーレ札幌の監督として契約を交わした。

案の定2013のシーズンは勝ったり負けたりを繰り返し、その度に監督が矢面に立った。
シーズン中盤からなんとか持ち直して最終戦でPOに届きかけた手は滑り落ちた。

財前恵一は来年もコンサドーレ札幌の指揮をするという。
僕が見てきた財前恵一なら、来年もまた、天才肌で、勝負師で、負けるときはベタに負けてを繰り返し、それでいてチームは伸びていくんだろうなぁ、と思っている。今の若手は身体を動かしながらと頭の中のサッカーがだんだんつながってきている段階だと思う。だからこそ、自分で考え、自分で身体を動かすことが何より必要なんじゃないかと思えてくる。その監督に教えない財前と、それを埋める名塚コーチと古邊さんはちょうど良いバランスだと思うのだ。

昔から、熱しやすく冷めやすいだとか、強いモノ大好きとか道民の気性が言われるけど、そういった北海道の良いところも悪いところも全部背負って、道産子監督と道産子の選手でJ1に上がって、アジアチャンピオンにならないとダメなんじゃないかと僕は思う。そのチームの監督に、財前恵一はよく似合うよ、きっと。


2011年5月 4日

Christopher Robin.

かなーり長い話なんだ。でも、こんな事あるんだな、って話。

94年あたり「分け隔てなく音楽を聴く。」と言うお題目で1ヶ月10枚分のアルバムのCD/レコード/カセットを聞くと言うノルマを課し、とにかくジャンルに関わらず何でも聞き続けた生活を1年ぐらい過ごしていた時期があった。
特に気に入っていた店が、五番館(西武札幌じゃない、あくまで五番館)にあったWAVE。インディーズをかなり取り扱っていて、マニア向けの多い品揃えだった。
#当時はカーネーションがFM北海道かノースのヘビロテだかパワープッシュに入ったりして、まぁ自分としても結構良い音楽聴いているじゃん、とかアホみたいな事思っていたと思うw
#そもそもこの時期は本当にアホでサウンド&レコーディングマガジンのCD評欄を見てCDを買うとか.厨二的バリバリな状態ですなwww


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2010年9月16日

ブログ再構築

MT3.3からMT5に変更いたしました。

デザイン的にはいつもおなじみ小粋空間のテンプレートを使わせて頂いております。

これでしばらく、twitter/Tumblr/このブログの3本立てで行きたいと思っています。

 

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