2017年12月21日

コンサドーレ四方山話。 - Qwe.cx Blog

○残留おめでとうございます。

まず、みんなきっと忘れていると思うので。
2008年10月19日付け柏戦後のHFCとの話し合い議事録


株式会社北海道フットボールクラブ執行役員チーム統括(GM)村野 晋(現 楽天ヴィッセル神戸株式会社 ヴィッセル神戸強化本部長 兼 アカデミー本部長 兼 アカデミー本部アカデミー運営部三木谷ハウスグループマネージャー)(...肩書きなげぇよ。)


(村野)
『現実として、J1からJ2に落ちて、今この場で降格が決まった時点で私が言って良いのかも判りませんけれども、このチームは皆さんのチームなんですよ。だからクラブの方針だとかですね、これからどうするんだということは私時間がある限りお話させていただきます。
 だけども皆さんのチームで、これから先10年、20年、コンサドーレがここ北海道・札幌市に有り続ける、継続させる、存続させるということに関しては、私が言って良いのかどうか判らないんですが「J2に落ちても応援してあげて欲しいし、応援するべきだ」と思います。
 やっている人間が力が足りなくてチームを勝たせることが出来ないのであればもっと良い人間を連れて来る。お金がないのであれば、もっと稼ぐ方法を考えてですね・・・。
 「コンサドーレは人生そのものだ」という風に言っている方もいます。ですから最後まで諦めないというか・・・、また怒られるかも知れませんが「ずっと先のことを考えればJ2に落ちたってどうということないんですよ。申し訳ないけれども。また上がれば良いんだから・・」』
(村野執行役員の言葉に居残者からどよめきが起こる)。

10年前にこの人がこう言って、今がある訳なんですよ。
チームが連綿と続くこと。
今年は2回目の残留というエポックがあったので、もう一度出してみました。

※しかしねぇ。本人が言っているけど、その日のその場所で会社の人間がコアサポ前にして「もう一回上がれば良い」と言う、その度胸たるや凄いよな。

○観客動員について。

ツイッターでちょろっと書いたんだけれども、今回話題にしてみましょう。
本来であれば2008年と2012年も含むべきなんでしょうが、
J1なのに客増えてないじゃん、と言う結果だったりするので、割愛。
まず今年と,前回の残留時でありドームバブルだった2001年の2つを見比べてみましょう。

2017年      動員  平均 
リーグ    17試合  313,100 18,418
ルヴァン    4試合  21,272  5,318
合計      21試合  334,372 15,922

2001年      動員  平均 
リーグ1st  7試合 126,345 18,049
リーグ2nd   8試合 207,080 25,885
ナビスコ   1試合   2,439  2,439
合計    16試合 335,864 20,991

単純に数字から行くと、2017年は史上2位の動員数であり、
昨年の21試合305,732を上回る動員数として結果は重畳でしょう。

ドームの最小入場者数も4節の広島戦12,624、
ホーム2連戦、前の週のホーム開幕戦で21,760と言う数での翌週という悪条件。
6月4日の神戸戦も12,644と20しか違わないが、動会当日(しかも先週からの天候不順による週またぎの順延+前日順延も含む)集客の見込めない中での開催ではいかなドームでも動員苦戦は免れなかったではなかろうかと。
その他、勝利優先のための厚別開催の柏戦がドームだったらのたらればで、観客動員の記録更新も可能かと思われた他、
最終戦の3万という動員目標の強気に、腰が抜けましたわ。

来期は近々に平均動員2万をめざすために、まず平均動員16,000、動員336,000を目指す。
そして噂される金曜ナイトゲームor日公都合の月曜ナイトゲーム以外の土日祝動員は14,000より上を狙わなくてはならない。
月曜と金曜ナイトゲームはどうやっても1万オーバが関の山なので...良い対戦カードは逆に置きたくないよね。

ちなみに、皆さんは当たり前のようにシーチケを持っていたり、
持っていなければ同月内2週続けての試合の2試合目のチケットなんてものを何の抵抗もなく買う人たちなの集まりなのだが、
世の中の大多数の人たちは、そんな消費行動を行わないことをご存じであろうか。
夫婦+子供2名の一見さんである場合、夢プランを用いても前売りでゴール裏2200円×2の出費になる。
これを1月に2回なんて事はあり得ない、と言うことを何度も直接聞いた。(もちろんチケット以外の出費も重なる訳なので)
日本ハムなら対戦カードを選ばなければ一番安いスーパーバリューは自由席で大人1000円、子供700円である。
夢プランなら子供のチケット分にお金が掛からないとはいえ、どうやっても1試合のコストの重さがかかる。
とはいえ、今更割引券や招待券をばらまくのは、出来ない。
割引券・招待券の乱発は客単価にダイレクトに響く毒薬だからだ。

じゃぁどうするか。試合単位のパフォーマンスを上げ、さらに勝利による多幸感を味わってもらうより無い。
#特殊な例として馬鹿サッカーで点の取り合いも有り。点が入らない試合は一見さんには圧倒的につまらないから。
でもその多幸感の積み上げが一番難しい。勝負は水物だから。

ただでさえ年長の方が多い札幌の客層に新しい(出来れば年齢も若い)、一見さんをリピーターにするための取り込み施策が欲しいところではある。
ファンクラブ(クラブコンサドーレ、ホワイト\3500レッドキッズ\2500は敷居高いしな)未満の人たちを上手く取り込む方法を見いだしていくしかない。
そこらへんは博報堂さんに期待(ぶん投げ)することにしましょうw。

○育成のこと。

私は育成ってのは指導者も含めて育成なので、地域の指導者相手の講習だけでは無く、人からのサッカー指導者の育成講座みたいのが出来る様になれば良いと思っている。それプラス、サッカー脳の良い人を量産する・見る目をつくる為にも、受講料を徴収して「頭のサッカー講座」(サッカー実技無し)をやるのも良いんじゃ無かろうかとおもう。(もっとサポから搾り取ろうぜw)
赤黒連盟さんのやっているコンサドーレラボのもっとサッカー戦術バージョンとか、もっとサッカービジネスに振った企画ものとして如何であろう。戦術とは何かを深く教えたり、契約ってどういうことをするのかを教えることで、チームがどんなことをしているのかをより深く知ることが出来るのでは無いか、なんて駄話はともかく。

個人的に、日本のチームというチームにコンサドーレ札幌に関わった指導者や選手がまんべんなく居る状態が、
コンサドーレ札幌の育成の勝利だと思っているので、ず道内にその芽をどんどん植えていっている現状かと思うが、
来年は名塚さんが山口へ行って、札幌の各年代で培ったその指導力を披露していくことになると思う。
財前さんが戻ってきて、来期からは札幌スタンダードの育成システムの構築をすることになる。
まだまだ道険しいし、そのためにももっと銭は必要なのだが積み上げていくことが必要なので、一つ一つ慌てず騒がず進んでいくべきだと思う。


○チームを去る選手について
高3の春にぐぐっと体格が良くなったのをみてなるほどなんとかなるかも、とは思ったが、息の長い選手になってくれたことは非常にうれしい。2回目の契約終了というのが本当に心苦しいが、ぜひともサッカーを続けて欲しい。
櫛引...富岸のサッカー少年が名古屋に請われて移籍するなんて事は本人も夢にも思ってなかったと思う。石さんの時代に戦術練習中、CB/SB/ボラとワンプレー毎に回されたあげくにポジション外された状況を見ていた事があって、当時櫛引ボランチ待望論とかがあったんだけど、石さんも試行錯誤して駄目だと判断してるんだ、と思った事が思い出です(おい


四方山話なのに四方田さんに言及しないのはお約束と言ったところでお開きに。

2016年12月20日

上里一将の思い出。 - Qwe.cx Blog

上里一将という選手をきちんと認識したのは2004年も末。
泥沼のようなチームで、みんながその試合に1つでも良いこと探しをする必要があった時だ。
その年の天皇杯、くそ寒い室蘭入江で、恐ろしく巻いたミドルシュートを見たときに、
来年はもしかしたら、この上里という選手が起こしてくれる何か良いこと、それがあるのかも知れない、そう思った。
同期には智樹や桑原と言ったある程度スタメンででられる(というよりはでざるを得ない)高卒選手がいる中で、
上里が目指すべきプレイスタイルはどのようだったのかを知るすべはない。
ただ言えることは翌年の2005年、恐ろしく伸びていく上里を見ることになるのだ。

2005年J2第18節横浜FC戦、この試合の上里は輝いていた。
試合自体は防戦一方の試合で中山元気と上里のゴールで勝っているのだが、
正直元気のゴールは覚えているものの、上里のゴールはさっぱり覚えていない。
しかし上里の一本のパスを覚えている。左サイドのオープンスペースに向けて出した、
回転とスピードもさることながら、「中山元気様」と書いた宛名がついたパス。
このパスをスカパーで見ていてひっくり返りそうになった。
こんなパスが出せる選手が札幌にいることを。(そして本当はこういうのを智樹にやって欲しかったわけだが)

この6月ぐらいから上里の伸びはすさまじかった。
チーム成績もそれなりに伸びて、
第26節までにチームは3位、2位アビスパまで勝ち点4と言うところまで来ていた。

上里はトップ下としてこのままなら左足一本で世界が見える所まで、
今シーズン末にはどっかに引っこ抜かれたら困るぞ、
と言えるまで来ていたはずの2005年J2第27節、8月20日。
別に誰が悪いわけでもない、雷雨順延。
その後帰札して行われた、21日札幌ドームサブGでの練習試合。
ここで上里は左ひざ前十字靭帯損傷の大けがをしてしまう。

結局の所、僕らが思った世界ははるか遠くに行ってしまい、
上里はこの後11ヶ月のリハビリに入る。
結局彼は、これ以降、トップ下ではなくボランチ・サイドハーフとしての選手になっていく。
それは膝のケガから見ても致し方ないだろうし、
チーム事情もあったであろうし、とはいえ、
以前の輝きを抜群に取り戻すことは年に一度か二度、と言った選手になった。
ただそれは、彼の得意な中距離のフリーキックであったり、
2009年の福岡戦、推定65mのロングシュートだった。

その後FC東京・徳島ヴォルティスへの2年のレンタル移籍の後、
また札幌に戻ってきた。
札幌に戻ってきてからの彼に対する口性の無いコンサドーレサポータの評からすれば
展開が遅くて持ちすぎだ、と言うことになるのだろうけど。

今シーズン、
http://www.55ft.co/2016/07/blog-post_15.html
コンサドーレ札幌MF上里一将の展開力が半端ない (河童戦術)で、紹介されたとおり、
展開力と視野はまだまだ衰えてはいない。
っと熊本でも力になってくれるであろう。

僕が知っていた彼は、まだ18・19の高卒選手で有り、
現実の彼は30になるベテラン選手である。
プロ10年選手としてやってきたことに驚嘆を隠せないが、
それは、柳下監督が、上里を見たときに
「どこの田舎から連れてきたのか知らないが、サッカーの基礎すら知らない」と評した
その言葉を覚えているからだろうか。
2004年、あのシーズンを共に過ごした戦友として、彼には出来るところまでやって欲しい。
それが上里一将に世界を見た者としての言葉でもある。

2015年6月 8日

CHUWI Vi10 Dual Boot (馳為Vi10 追夢者 双系統) - Qwe.cx Blog

何でか家にありますぜ(@_@) CHUWI Vi10 

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先月半ば、愛用のONDA v975wが起動しなくなり、致し方なく購入元の赤札天国へ修理送付。
致し方ないけれども、Windows8.1があると便利なので、色々中華Padを探していると、
DualBoot機がそれなりの値段になっている。

v975wは一応念を入れて赤札で買ったが、やはり日本の取り次ぎ通してもダメなモノはダメと悟ったので
今回はAliexpressから頼んでみました。
たまたまタイムセールをやっていて$建てで$20ほど安かったのでケース一体型キーボードもをセットにして発注!

しかし。

1回目の送付は向こうの梱包ミスで税関を通過できずリターン。
向こうのコメントは「こんな事良くある事だから気にすんな」
再送をかけて到着したのが6月6日、届くまで3週間弱は掛かりましたなぁ。

中身のレビューは後から。

続きを読む "CHUWI Vi10 Dual Boot (馳為Vi10 追夢者 双系統)"

2013年12月13日

財前恵一の思い出。 - Qwe.cx Blog

コンサドーレ札幌アドヴェントカレンダー企画
企画にのったは良いけど、何書くか決めてなかった、ってことで、
今年チームで批判の矢面に立った人、財前恵一の話をば少々お付き合い下さい。
(なお筆者は室蘭大谷OBでも何でもありません)

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財前恵一(サッカー界隈では弟宣之のほうが有名ではあるが)は、北海道のある年代より上の人たちは財前と言えば室蘭大谷出身のサッカー選手、と知っている。
僕の中学生の時は室蘭大谷の第二期黄金期で、「財前ギャル」が発生し、高校サッカーの試合会場で所属学校以外の女子高生の入場が規制されるとか訳のわからんフィーバー状態が発生したこともあった程の有名人だった。
前恵一は高校卒業後、日産へ。怪我に再三泣かされ続けたそのときのエピソードは、何度も僕が財前を紹介するに当たって引用しているが、このコラムである。

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「それで」......で、腕をバシッ、「ザイゼン君は、」で、今度は足首をバシン、「だからね、説得はしたんだよ、あんな説得は初めてだったけどさあ」で、ついに森孝慈ゼネラルマネジャー(横浜M)もバチッ、と、森GMとわたしは、自らの手足をビシバシひっぱたきながら、獅子ヶ谷グラウンドのベンチで話していた。なんで、こうビシバシ、とせわしなく擬音が入るのかと言いますと、夏の夕方の獅子ヶ谷ほ、ヤブ蚊の天国と化すからなのだ。
 森GMは、血中アルコール度が高いため! シャツの上からも刺される非常事態に陥り、取材は途切れがちではあった。それでも、何故、財前恵一選手(27、MF)が、急に、選手登録を抹消したのか、その経緯は知ることができた。市販のニコスシリーズ用プログラムに彼の名前も入っていることからも、いかに急なことだったかがわかる。
 財前宜之君(18=川崎)、つまり恵一の弟の方は、セリエAラツィオのプリマベーラ行きが決まっている。
 偶然にも、この華々しいニュースが出たのとほぼ同じ時期、兄はじつにひっそりと、最愛のチームを去った。
 昨年、当時JFLの柏に移籍したが、左アキレス腱を切断。手術後、リハビリに明け暮れた。オフには戦力外通告を受け、1年で古巣に移籍。入団発表では「マリノスの御恩は一生忘れません」とあいさつし、記者や関係者の爆笑を誘ったが、このとき本人は笑ってはいなかった。不運にも、今度は逆足のアキレス腱を切り、またも手術とリハビリの生活に戻った。しかしクラブは、第2ステージの契約続行を決め、あとは本人のハンコを押すだけだったという。
 しかし契約書を前に、財前は「契約は第1ステージのみでした。十分助けてもらいましたし、もう心苦しい。あとは1人でできるところまでやってみます」と、頭を下げた。森GMは面食らった。「辞めるという選手に、いいから早く契約書にハンコを押せよ、と説得するのは初めてだった。でも男が、それも1人のプロ選手として決めたことなら、それも尊重せねばならない」と、ついに登録抹消を決めた。今は1人で、黙々とトレーニングを続け、もう一度プレーする日を待っているはずだ。
 プロには、人事異動の激しさはツキものだ。引退、移籍、トレード、解雇......。「何でもあり」、が、この世界のたったひとつの掟といえる。記者ならば、誰だっていちいち驚いたりはしないし、もう慣れっこになっている。それでも、財前のようにあたり前のように取材していた相手が、急にいなくなるのは、なんとも拍子抜けするものだ。
(後略)
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北海道の生んだ、天才にして不世出の財前恵一というサッカー選手が、
実はこんな孤独な戦いを経て、東芝サッカー部からコンサドーレ札幌と名を変えた札幌のチームに戻ってきた。
この地で、彼がどんな活躍をするか。
このとき、財前ブームから10年だったが、シーズン半ばに引退を発表し、育成のコーチになることが発表された。

そして1999年。僕はこの年から2002年ぐらいまで、ほぼ毎週のようにユースを応援していた。
この年U-18のコーチになったのが財前だった。保坂さん(現甲府アシスタントコーチ)が監督で、財さんはコーチ。
でも、ユース生の親から評判があまり良くなかったことは耳に届いていた。
練習を自分で考えてやりなさい、と言う指導方法で、貧乏チームに月謝まで払って通わせている親から見れば、何のためにいるコーチなんだ、と言う話だったようだ。
それと、怪我をした選手は基本的に軽い怪我でも無理して起用はしない。これは基本的に育成段階だから当然とは言えるが、先週の試合と今週の試合のスタメンは当然のように変わるし、怪我で抜けた穴をどう埋めるのかは、あくまで怪我がなく練習で調子が良くて動けてた選手から構成されていく。もちろんどう戦わなければならないかの指導はするが、サッカーをするのは選手
このやり方はこのあとトップチームコーチが終わる迄続いた。

2001年。保坂さんが札大に行き、監督は財さんは監督に、ユースのコーチはU-15コーチから及川コーチ(現室蘭大谷サッカー部監督)という布陣になった。これまで夏のクラブユースがそれこそそのシーズンの強敵と初めて顔を合わせるような状態で戦われていた時代、初めて予選リーグを突破し、そしてあれよあれよという間に決勝トーナメントを突破して決勝の舞台に立った。
特に。決勝トーナメント1戦目の広島戦、新居の足首が完調ではなく、代わりに起用した控えFWのH君の起用がずばりと当たって勝てると思わなかった清水戦を勝ち上がり、準決勝の京都を下して決勝までたどり着いたのだった。
この決勝に上がるまでに札幌は福島の熱さによる遠征疲れ、そして怪我に殆どの選手が満身創痍という状況で、FC東京を下すことは出来ず、(新居がふてくされながら鹿島の青木と握手するし大会MVPトロフィーを受け取っている姿を見つつ、「あいつ青木って知ってるのかな」とかバカなこと言っていた気はするが。)その夏は終わった。
「財前監督」になって僕らが知ったのは「勝負師」「博打打ち」要素の強い、とても驚く起用法が多かったことだ。
坂監督は、石橋を叩く感じの打つべき一手をここで打つタイプの起用であり交替であった。しかし財前監督は、びっくり箱の様な起用・采配をする。だから勝つときはかなり効果的に劇的に勝つ。でも負けるときは、それはもう惨敗と言うほどに負ける。
勝つときの派手さの裏には、好調な選手の見極めに絶対の自信がある様に思うのだ。彼の見える選手の動きが彼の思うとおり動けば勝ちに、動かなければその目算は一気に崩れる。もちろんどんな監督でも同様であろうが、財さんの采配はそれがあまりにも顕著だった。それが育成の監督としてそれが良いのか悪いのかは判らない。
、明らかにトップチームの、それも監督に向いているよな、というのは僕らの感じたことだった。
たぶん、コーチには向いてない...それは2004年、トップチームのコーチに就任してからの彼の評判が現していた。

「教えない」「何もしていない」
練習見学の常連から漏れ聞こえるのはその声だった。
2004年は今考えても、しょうもない陣容の年で、札幌史上、一番所属選手の少ない年であった。
http://qwe.cx/consa/sensyu-idc.html (2004年を参照)
事実であったであろう。教え魔と言われたほど「サッカーを教えること」にかけてはたぶん、Jリーグでも三本の指に入るような情熱を持ってやってくれるトップチームの監督と、教えないことトップチームコーチ。その二人三脚はあまりうまくいかなかったのかもしれない。今回の財さんのトップチーム監督就任の話が出たときに、そこここで「あの人が」「えーっ」と言う声が上がったのは知っている。でも僕はそれで良いと思っていた。

話は変わって、コンサドーレ札幌の育成部門というのは室蘭大谷人脈を基礎としていて、昔から三浦雅之氏(現ノルディーア北海道監督/愛称はタマさん)を筆頭とした大谷人脈がある。
まぁ、あったからといってだからどうしたと言うこともないが、コンサドーレのS級推薦枠は先に出た保坂さんが取り、森下さん(現ツエーゲン金沢監督)が取り、そのヒエラルキの一番上にいたタマさんではなく、財前に枠が与えられた。その頃タマさんはトップチームのコーチであり、動けなかった分も加味してであろうし、ある意味、タマさんではなく財前が次時代の監督候補であると言うことを路線としてチームが決定したのではないかと私は推測する。

森下氏がジュビロを経由して福岡のトップチームコーチから強化部長に就任したとき、財前がアカデミーU-13の監督として招聘された。その後、U-18が宮杯のプレミアリーグに昇格した年にU-18の監督に就任。
ここでの評判はよくは知らない。

そして2012年12月13日、財前恵一はコンサドーレ札幌の監督として契約を交わした。

案の定2013のシーズンは勝ったり負けたりを繰り返し、その度に監督が矢面に立った。
シーズン中盤からなんとか持ち直して最終戦でPOに届きかけた手は滑り落ちた。

財前恵一は来年もコンサドーレ札幌の指揮をするという。
僕が見てきた財前恵一なら、来年もまた、天才肌で、勝負師で、負けるときはベタに負けてを繰り返し、それでいてチームは伸びていくんだろうなぁ、と思っている。今の若手は身体を動かしながらと頭の中のサッカーがだんだんつながってきている段階だと思う。だからこそ、自分で考え、自分で身体を動かすことが何より必要なんじゃないかと思えてくる。その監督に教えない財前と、それを埋める名塚コーチと古邊さんはちょうど良いバランスだと思うのだ。

昔から、熱しやすく冷めやすいだとか、強いモノ大好きとか道民の気性が言われるけど、そういった北海道の良いところも悪いところも全部背負って、道産子監督と道産子の選手でJ1に上がって、アジアチャンピオンにならないとダメなんじゃないかと僕は思う。そのチームの監督に、財前恵一はよく似合うよ、きっと。


2011年5月 4日

Christopher Robin. - Qwe.cx Blog

かなーり長い話なんだ。でも、こんな事あるんだな、って話。

94年あたり「分け隔てなく音楽を聴く。」と言うお題目で1ヶ月10枚分のアルバムのCD/レコード/カセットを聞くと言うノルマを課し、とにかくジャンルに関わらず何でも聞き続けた生活を1年ぐらい過ごしていた時期があった。
特に気に入っていた店が、五番館(西武札幌じゃない、あくまで五番館)にあったWAVE。インディーズをかなり取り扱っていて、マニア向けの多い品揃えだった。
#当時はカーネーションがFM北海道かノースのヘビロテだかパワープッシュに入ったりして、まぁ自分としても結構良い音楽聴いているじゃん、とかアホみたいな事思っていたと思うw
#そもそもこの時期は本当にアホでサウンド&レコーディングマガジンのCD評欄を見てCDを買うとか.厨二的バリバリな状態ですなwww


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2010年9月16日

ブログ再構築 - Qwe.cx Blog

MT3.3からMT5に変更いたしました。

デザイン的にはいつもおなじみ小粋空間のテンプレートを使わせて頂いております。

これでしばらく、twitter/Tumblr/このブログの3本立てで行きたいと思っています。

 

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